滝沢麻耶『リンガフランカ』(講談社)を読むように。
理屈と感動は相反するものなんかじゃない。それは、柳沢教授や「エアマスター」の深道に限った事じゃない。 「スラムダンク」や「はじめの一歩」で気付かなかった人も、この作品で分かるだろう。
≫ 「お前じゃなきゃだめなんだ」と
「私でいいの?」っていう確信と不安も、即興の綱渡りだって恋愛ではよくあることだけど、「笑い」を媒介させれば、それは対幻想から不特定多数、すなわち「世界」を相手にした関係に変わる、変わるからこそ2人はしがみつく。一度幻想に失敗した彼らだからこそ、強固に。 そして彼らはウケてしまう。 根拠のない確信も、拭い様のない不安も、 すべてそのとき丸ごと世界に肯定されてしまうのだ。 なんと目くるめく瞬間であることか。 などと。
≫ 四方 / link / 2005-04-07 03:12 / 1JUchaSw
≫ いっチラパイ
読みました。読むまでなめてました。しまったー。 理屈と感動は相反しない。理屈を過程にすれば、これ即ち物語であると。 にしても、主人公たちの「笑い」に対する思いは、たぶん作者滝沢氏の「漫画」に対する想いと通じているのでしょうな。だから実感がある。
≫ 四方俊 / link / 2005-03-28 22:51 / NjgeMWME
≫ ハリセンがある事によってコミュニケーションに変わる
物語、つまり予定調和なものだって前提でなく、リアルに考えてみると、岸部の笑太を信頼するレベルは尋常じゃない事が分かる。 本番の舞台で、全くの即興でボケをかますってのは、それをネタに仕上げられる完璧なツッコミが返ってくるって確信が無きゃ出来ない事だ。 笑太もまた、岸部にただ連れられて舞台に上がれるってのは―そう、僕も、彼が作中で岸部に言われたのと同じ指摘(自分でゼロからは作れない・他人の話題を面白く膨らます事は出来る)をされた事があるので、実感するのだが、彼自身は何にも用意してない状態で、ただその都度岸部のフリに対応するだけのつもりで、舞台に上がるのだから―岸部のウィットを完全信頼する、やはり尋常でない行為だ。 スポーツ漫画やバトル漫画で、そういう信頼がどーのっては定番だけど、この「リンガフランカ」でのそれはもう、尋常じゃない。 成程、ボケはツッコミって調理無しにはネタにならんし、ツッコミもまずボケありき、だ。 自分のもう半分を求めて…みたいなテーマの作品に、漫才ってのは、実はこれ以上無い位ピッタリなテーマだったのだ。
≫ イカサマ / link / 2005-03-28 22:51 / NjgeMWME
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