・ザ・カスタネッツ、7/20(土)下北沢キュー夏ノ陣、若いフリサトとのツーマン。「ねないねないねない」の歌詞の最後を「戻ってこれなくても そこに家を建てる」(だったっけ)と言い換えていたのは、どういう意味だろう?
・松浦だるま「累─かさね─」、『イブニング』連載。小林よしのり「最終フェイス」、沖さやか「ななコング」との違い…って文脈で感想を書こうと思ったが、思い付かなかった(笑)。敢えて言うとその2作の主人公のポジティブ思考が読者にとって救いであり即ち免罪符であり即ち御都合主義にちょっと思えたってのが有るが、テーマ的にそもそも比べる作品でもないのかも。本作の醍醐味は少女の悲しい怨念とその妖艶さなのだろう。 ・『アフタヌーン』'13.09.、篠房六郎「百舌谷さん逆上する」最終回、作者近況。クールというかキザというか、正にツンデレ(笑)! ・『アフタヌーン』'13.09.、赤星トモ「思春期シンドローム」の台詞、「お前ら楽しそーだなぁ」…リアルとほのぼのは矛盾しないと実感。 ・『アフタヌーン』'13.07.の幸村誠「ヴィンランド・サガ」の台詞「復讐に走れば呪われるだけだ!! 怒りが怒りを呼んで次々に人が死ぬだけだ」…ヴァイキングの少年がそう叫ぶこの作品の存在が、今非常に大切だ、と思うのが、かの衝撃話題作「進撃の巨人」が、国威発揚的なアレに利用されそうな懸念が……とか思ったからだが、 ・http://ukdata.blog38.fc2.com/blog-entry-2515.html 「進撃の巨人は寓話性がないので再読がきつい」 …取り越し苦労だったみたい。 ・表現規制。この非科学的な議論はまだ続くの? ・クール・ジャパン。クールなカルチャーとは、即ちジャンク・カルチャーであり、カウンターカルチャーの事ではないのか。ならば、国が音頭を取る事は矛盾だ。その時点でクール・カルチャーではなくなる。 ・カタカナ。“英語(外国語)を使わず日本語を使え”とは、尤もらしく語られる定番の一つだが。 外来語は日本語だ。 生粋の日本語だと思われがちなものにポルトガル語やスペイン語由来のものが幾つも在る(「カッパ」(雨具の方ね)とか「タバコ」とか)。 日本語で存在するんだからそっちを使えってのはよく言われるが、外国語の訳語として敢えて当てたもの/作ったものも多い(「次元」とか)。 そもそもぴったり同じ意味の日本語なんて当てられないものだ(「マニフェスト」は「公約」とイコールではない)。 それよりも、ずっと気になってるのが、畏まった言い方が漢字の音読みの語である事が多い事について(「はらいた」でなく「フクツウ」等)、ナショナリスト達からの批判/反発って無いのかな、という事。どうなんだろう? ・http://lite.blogos.com/article/57889/ 「東電はいまでも「じぶんたちは『被害者』だ」と思っているんですよ」 「えっ、被害者!? 加害者じゃなくてですか」 ・http://yamada.fullcom.jp/?eid=66 両先生、このテーマで交流って無いのかな?って、ふと思った所にこの記事。 …っていうハナシをする筈だったが…。 ・http://yamada.fullcom.jp/?eid=71
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