あらゐよしひこ氏の経歴について僕は知らない(無論ネットでは簡単に調べがつく)。
『ドルフィン』誌の同人誌紹介コーナー(沖由佳雄「同人誌データバンク」(『ドルフィン』'04.7.))で、エロでもないのに取り上げられた『SURVIVAL DEAD』('04.5)が僕が最初に触れた氏の作品であり、“ゾンビのサバイバル”というアンビバレントなテーマをきっちりモノにしているというだけでも評価されるべき傑作だ。 『使い魔エンブリヨ』1,2(各掲載話の初出しか記載無し。'00~'02位)は人間の少年/少女と人外の相棒といういわゆるドラえもん形式をとりながら、その実「魔太郎がくる!!」に他ならない。いじめっ子側も一顧だにしないが、いじめられっ子である主人公の少女も、根性の良くない人物として一貫して描く。「子供がいじめられてんのに見てみぬフリ? そーゆーのだってイジメに加担してるんだよ」(本編より)などという無責任な物言いとは違って、(恐らく)いじめられっ子の立場もよく知った上でのいじめられっ子批判ともなっている。 「Dr.パッチワーク」シリーズの『罪とか、罰とか。』('05.8)と『家族の問題。』('05.11)の2冊を僕は持っている。主人公の医師は正義漢などではない上に好奇心という事に関して全く下世話な人物である。事件の真相を推理し恐らくはそれが正解なのだが、だからといって何にもならない。何も救わない。そういう作品だ。「あとがきで薄ら寒ささらに倍増」(樹庵氏(『ティアズマガジン』vol75,'06))という感想があった。全くその通り。 『吸血鬼の憂鬱 食屍鬼の逡巡』('06.2)の、吸血鬼とグールの違いに意味は無い。両者は同じくモンスターであり、その上での両者の立ち位置の違いがテーマとなっている。即ち、生粋の魔物と人間でなくなった者。ネタバレに注意しながら語るなら、片方の立場での一人称に終始している点に賛否が分かれるかも知れない。併せて藤原薫『おまえが世界をこわしたいなら』(上・下)を読むとバランスが取れる、かも。 あらゐ氏のサークル東山神兵の名を今夏のコミケのカタログに見付けた。3日目(8/13(日))東ヤ-01a。 行ってみろ、という話である。故に、氏のホームページのU.R.L.すらここには記載しない。 (って急過ぎるよ! …スマヌ)
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