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漫画家の小石川先生と言えば、もへへ兄さんこと小石川圭先生の事だ。何故なら、ふにさんは先生と呼ぶ事を禁じているからだ(笑)。
で、今回はふにさんの話だ。 小石川ふに作品について、もしぬるいなんて批評があるとして、そして本人がそう思っているとして、それに反論する。 簡単だ。「贈る言葉」じゃないけど、人に優しく接する人が甘っちょろいかといえばそんな事は無い。寧ろ厳しい道程に裏打ちされた故の人当たりの柔らかさである事が多いのではないか。 ふに作品がそうであるというのは、筋の通ったテーマと展開によって明らかで、筋の通った作品がそれ故に過激なインパクトを欠くという事がありふに作品もその例に洩れなかったとしても、それは必須の要素ではない。 スペース・シャワーのサイト(http://www.spaceshowertv.com/DAX/live.html)で、 カジヒデキSPECIALを観る。
まぁ、某なんたらギターのP.V.みたいな秀逸さは無いけど(笑)、カジ君はこれでいいのだ。 「期間限定:~6/30迄」だってさ。 何か、20年前のアキバ系になってるぞShin-ya君(http://user.ftth100.com/shin-ya/index.php?mode=past_show&date=200606)。
という訳で、「アフタヌーン」今号で「むげにん」の不死力解明編が完結したが、何故作者はあんなにも綾目歩蘭人に思い入れていたんだろう(出羽介や虎右ェ門 もか。終いにゃ狩小澤さんまで)?
何にせよ、如何にも“人間というモノを描こうとしています”ってのを前面に押し出した作品より好感が持てるのは確か。 凄い作家ってぇと誰を想像する? きっと様々な名前が挙がるだろう。
板垣恵介氏と士郎正宗氏の対談とか見たくない? …とか、ふと思った…。 絢香「I believe」がヒット曲だと知って愕然とした。あの阿呆みたいな歌詞にだ。
アレでいいなら、日本語の音楽を聴く意味は無い。 インディーズ、アンダーグラウンド…それ等への志向は差異化のポーズなんかじゃ決してないんだ。 イルリメ「トリミング」のライブの映像をスペース・シャワーのサイトでボーッと観ていた。 ふと耳に残ったフレーズがある。「連れて行きたい気持ちになります」 もう一度よく聴いてみる。 「見せておきたい景色がずっと募って 写真じゃ切り取り切れないから 話せば白々しくなるから 連れて行きたい気持ちになります」 …日本のラッパーはこれ位歌えるのだ。日本のロック・バンドはこの位歌えるのだ。 そうでないものが商品として採用されがちな現状だが、誰にでも合う様に作られている規格品は、結局誰にも合わない筈ではないのか。 別に僕はそんな現状でも構わない。不特定多数に広く売れる商品を企業が売るのは当然だからだ。 その商品たるミュージシャン達が、「広く一般に受け容れられる様に平均化する為に水で薄めた作品を作っています」と正直に言ってくれれば。 「些細な振る舞いから勝手に自分の潮時を読み取り 記憶に居られなくなって切られる前に逃げていく」 「見てられない人がいて 見慣れてた人がいて 見破っている人がいて 見送っている人がいる」 これがラップだぜ、これが日本語の本当のラップだ。 「囁き秘めると甘くなるから、だから成るべく吐き出して 何時しか感受の強さに耐えられなく成る前に」 日本のミュージシャンはこの位は歌えるのだ。 |
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