乙橘槇絵は、沙村広明「無限の住人」の初期の、まだ刺客が1人(/1組)ずつ主人公達を襲いに現れていた頃に、5番手位の敵として登場したキャラで、それ迄やその後に登場した敵達と同格の、敵キャラの1人だった。
しかし、掲載誌最新号(『アフタヌーン』'11年3月号(講談社))分に至る迄に登場した、主人公やボス・キャラを含む全ての剣士の内で最強は、ボス・キャラの愛人でもあるが故に、今度の戦いに貴女は連れていけないとか言われてバトルから外されてすらしまう事もある彼女なのだ。 ここが青年漫画のバトルものと少年漫画のそれの異なる所だ。キャラの作品内での立ち位置等と、戦闘力の高さは関係しない。 尾田栄一郎「ワンピース」にて、主人公と同格のルーキーの海賊船長達が登場した辺りを読んだ際、この作者は本当は群雄割拠ものをやりたいのかなぁ?とか思ったものだが、的外れだろうか? それより以前は、この作者はきっと海洋冒険ものをやりたいんだろうに、ジャンプ的対決ものばかりやらされてストーリーが一向に進まないないなぁ、とか思ってたりしたが、それもやっぱり的外れだろうか?
≫ ジャンプ的パターンは正に様式美でしょう…って、ジャンプ的パターンに限らないな、やはり同じ少年漫画のマガジンやサンデーのスポーツものなんかもそうか。
にわのまこと「真島クンすっとばす!!」が、他誌的リアル競技トーナメントものをジャンプ的バトルものスタイルに上手く落とし込んだカンジで興味深かったです。
≫ イカサマ / link / 2011-02-08 05:21 / NZI6oTsQ
≫ 絶対有り得無い事を熱く構えると結果少年漫画になっちゃったって事も、多々見受けたりもするけどね。
ある意味、少年漫画ってのは様式美みたいなモノなんだろうか。
≫ しんーにゃ / link / 2011-02-06 22:17 / ggfsxiZ2
≫ 少年漫画的パターンに反する最も極端な例は、天王寺きつね「Rape+2πr」の最終決戦で、悪役のボスが主人公側の連中と共に、反旗を翻した自分の部下である幹部の許へ乗り込む所かと。
その幹部、真正面からボスに飛び掛かるけど、一撃で倒されちゃって。実力差は解ってたけど、挑みたかったんだね。 因みに、この時この悪役のボスの他にチョイ役の助っ人キャラも同行したんだけど、皆ただの不良に過ぎないのに対し、このキャラだけホンモノの裏社会の殺し屋の武術家なので、この漫画で一番強いのは、チョイ役のこのキャラって事になります。 少年漫画だったら絶対有り得ませんね。
≫ イカサマ / link / 2011-02-06 05:35 / wEQrCejg
≫ 「個人の成長・英雄物語→バトルで崩壊」というプロセス自体が、漫画編集者にとってはお決まりなのかもしれないと思いました。
つまり、キャラクターへの愛着・期待を盛り上げておかないと、ぶっ壊し甲斐も無いので。
≫ 世田谷の弟子 / link / 2011-02-02 20:13 / 1SrgHENA
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