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アニアニランド、「Rec」の原作を知らないので、もしやアニメのスタッフの力なのかも知れないが(松丸君の声がヨイ)、「やっぱ花Qすげー」なんて言いながら観てた僕だが、「びんちょうタン」の感想を、引用にて。
かつて、『米国音楽』誌上で、川崎大助氏が、小さな子供を見ると悲しくなる、と言ってた意味が解った。 「その子供の身の上に、これから起こることをつい考えちゃって、泣きそうな気持ちになることがよくあるんですけど、みなさんありませんか」(『米国音楽』vol.13,P14) 儚げな人達が健気に生きている様を見ると僕も哀しくなる。ふてぶてしいワルやセコイお調子者に賛辞を! 「そう言ってただろう 今になって笑い出してんだ まあ行こっか」(ザ・ジェリー・リーファントム「BRAND NEW BLACK STAR」) 近所のゴミ収集場所に何故かスロット台が捨ててあったのはいいとして、その隣に、ロデオ・ボーイのダンボールが…。
昨日、近所の畑に佇んでいた爺さんが凄ぇ渋かった。
初期の頃のセスタスはマジ可愛らしくて、ショタ心をくすぐる(爆笑)。
ロクサーネさんは顔のツクリはスルドイ系の美人なのに、顔つきにはおっとりした感じが表れていて、技来先生は本当に絵が上手いんだと思った。 さてさて、そんな訳で技来静也「セスタス」。 競技格闘技の技術ってのは、その競技用に特化したもので、それに長けてもケンカや戦(いくさ)で勝てるとは限らない。 が、それでいいのだ。 古代ローマの拳奴であるセスタスは、その拳闘奴隷の身分から脱するその日まで無事生き延びる為に、拳闘競技に最適化した技術を身に付けたのだ。 彼の師は弟子達に、自由を勝ち得た時、肉体の健康が害されていては意味が無いと言って、その技術を仕込む。 これ程にスッキリハッキリした格闘漫画は無かった。 スイカ「ショウイチ君と赤いスイカ」(アルバム「コインサイド」収録)が、余りにのどかで爽やかないい曲なので、歌詞をちょっと引用する。
「ショウイチ君は僕と同じ右目の中ほくろがあるんだ 泣いたら青く青く光るのでなんだか宝石みたいなんだよ 入道雲は僕らの季節 ショウイチ君はショウフの子 イザリのおじい片目アキメクラ 並んで食べた甘い甘いスイカ」 この詞には、以下の註が付いていた。 「イザリ-足の不自由な事 アキメクラ-目の不自由な事(名字や地名だとおもっている) ショウイチ君はショウフの子-大人がいってるのを聞いただけで意味は知らない 右目の中にほくろ-ショウイチ君が異母兄だという事は気づいていない」 西原理恵子「ぼくんち」を、ジブリがアニメ化すりゃいいのに、と、ふと思った。 前項よりの続き。
「ベル☆スタア」の、銃撃戦をしつつのチェイス・シーンの最中、ふと一人が名乗りを上げ、もう一方がそれに呼応した為に突然決闘シーンに移行した所、それはこの上無くカッコよかったが、基本的に僕は伊藤明弘氏の美意識は好きじゃない。格好つけた格好よさが格好いい、という感覚は…。 高田裕三「3x3 EYES 」の八雲君の站椿功のポーズが如何にもカッコつけてて好きじゃなかった。人間のポーズには、理に適った姿勢という事の素朴な美しさってのがあり(「拳児」の絵を見よ。「スラムダンク」でもいい)、そこにジャパン・アクション・クラブ的なアレンジは必要無い。 瓦敬介「菜々子さん的な日常」の、'80年代の北海道の高校生達の姿は、躍動感があって魅力的だったが、同じ絵柄で、アクション・ヒーローを描くと、途端にわざとらしく見えるのは何故なんだろう? 六田登「TWIN」の、ライバルの選手を抜き去った後、この世に別れを告げようとバイクのハンドルから手を放すが、路面に激突する寸前思い直し、激しい転倒で血ダルマになった身体をズルズルと引き摺りながら立ち上がった主人公の姿は、ただただ凄い迫力で、どんな格闘漫画の傷付き倒れた主人公が再び立ち上がるシーンも追い付けない、と僕はずっと思ってる。 以上は僕の主観で、多分君と違う。つまり、絵が上手いという事、カッコイイという事に絶対の基準なんか無いって事で、そんなの言わずもがなだろうが、再確認。 “金になるか否か”という観点は確実に存在していて、それは僕等がメーカーや販売元、販売店、プロ作家でなければ考慮すべき事ではないってのを、本当に忘れてないか? 大丈夫か? 惑わされるな。 |
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