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もう次号出ちまうってのにナンだが、『イブニング』'06.No.9の「ZOOKEEPER」、「コアラ 動物界脊索動物門哺乳網(←綱の誤植)フクロネズミ目コアラ科コアラ属コアラ」……。
……「フクロネズミ目」!? まさか、アノ話はまだ生きていたのか!? かつて、動物模型製作家・松村しのぶ氏が『ホビージャパン』誌で語ってた事を引用しよう。 「分類法の「目」のところを、もっと理解しやすいように変える動きが出てきたのです。たとえば、サーバルなどのネコ科動物はクマやイヌ、イタチとともに「食肉目」という「目」に含まれていますが、この「食肉目」を「ネコ目」にわかりやすく変えてしまおうというのです。となると、サーバルは、ネコ目ネコ科でよいのですが、オオカミはネコ目イヌ科となってしまいます。ちょっと変だよネ。人間も「霊長目ヒト科」から「サル目ヒト科」という表記へと変わってしまい何となく味がなくなってしまいます。そもそも従来の「食肉目」や「霊長目」などの名称は、ラテン語の分類表記を、日本語訳したもので、それなりに意味があるものです。また、「分類」と一口にいっても、必ずしも分類が確立していないものも多く、たとえばアザラシとアシカ、ハクジラとヒゲクジラは、それぞれ互いの姿の類似性など、実際に近縁なのかについては今ひとつ不明とされています。それが「アザラシ科」となってしまうともうアシカとアザラシはすごく近縁みたい思えてしまいます。これが「鰭脚目」だと「何だかよくわかんないけどヒレのあるやつをあつめました」という意味にもとれ、こちらの方がより「正確」な表記になると思います。そもそも分類とはこのように不安定でわかりにくいものなのでこれを簡単に「ネコ」「サル」「ウシ」などといった名称を使うとかえって混乱してしまうとおもうのですが。 なぜこんなことを急にいいだすかといえば最近発行された朝日新聞社の「動物たちの地球」なる週間動物図鑑の第一号にこの新しい表記を使った分類図がのっていたからです。実をいうと、この表記変更の件はすでに4~5年前から聞いていたのですが、その後使用されていなかったので「ボツ」となったとばかり思っていたのですが、まさか生きていたとは…。本当の事をいえば、別にどーだっていい話なんですが、この国の場合「一般に理解を広める」という「一般」を「小学校低学年」と考えているふしがあり、どうもそこのところが気になるわけです」(太字強調は引用者。出典不明。というのは、この文章のコピーが手許にあるのだけど、そこに『ホビージャパン』誌の何年何月号かを記すのを怠ったのだ。不覚!) まあそういう訳だが、確かに、僕の手許にある『動物たちの地球』第1号('91.6.23.朝日新聞社)では、上述の通りの表記がされている。上記の「アザラシとアシカ、ハクジラとヒゲクジラ」の例を見ただけでも、この表記が“誤り”である事は明白だ。 「一般に理解を広める」とは、よりカンタンに“改竄”する事では決してない筈だ。“円周率=3”など、この様な事を言い出す者が1人や2人居たとして、それが正式採用され施行されるのは、もはや愚かを超えて狂ってる。 原作も知らないし、自主制作アニメをそのまま放映したという(?)第1回放送分も観てないが、「涼宮ハルヒ」。
主人公がヤケに老成して見えるのが、実はリアルだ。 おっさんになった僕等は、同じ教室に、隣の席に制服を着た少女が居るのが、どれほど破格な事か! なんて思うけど(苦笑)、現役中高生の頃は、そんなのあんまり解ってない。 特に恋心を抱いてる対象以外は、例え美形でも性別が違うだけのクラスメートに過ぎない。偏屈で他の誰とも話さない美少女ハルヒちゃんと唯一親しくなった、いや、一方的に構われる様になった事を、主人公は何とも思ってないか、寧ろ迷惑に感じている。 飽食の時代には食べ物の有難みを忘れるという事かも知れないし、単にオクテだって事なのかも知れないが、まぁそういう事だ。 所で、何故ハルヒちゃんは主人公にだけ反応したんだろう? 彼女が毎日髪型を変えていたのは、奇人である彼女らしいチャネラー的な意味合い(宇宙人へのサイン)で、主人公はそれを指摘した訳だが、とにかく、彼は女の子の髪型の変化についてコメントしたのだ。 …そういう事なの? 大島永遠「女子高生」はちょっと読んだ事あって知ってるつもりだったが、アニメ版を観て……。
本当にバカだな(笑)。 K-1はキック・ボクシング・ルールでいいんじゃないのか、って言うか、キック・ボクシングでいいじゃん。K-1誕生時、何故僕等はアレを異種格闘技戦だと思ったのか、総合格闘競技が存在している今ではとても不思議に思える。
総合格闘技は、空手家が出ようがキック・ボクサーが出ようが柔道家が出ようが、皆総合格闘家化していく。全然異種格闘技戦じゃない。 だってそれはしょうがない、総合格闘競技では、総合格闘技が最も有利なんだもの。 人間を2人、裸で檻に放り込んで無制限で闘わせたら、ああなるのだ。そして、その状況が必ずしも“実戦的”である訳ではない事は、もう皆知ってる通りだ。 総合格闘家を10人程、どこか治安の悪いゲットーで一定期間サバイブさせたら、各人が遭遇した状況のタイプの頻度によって、空手的な闘い方に特化したり、柔道的なソレになったりするんじゃなかろうか、と、ふと思った。 夢枕獏「獅子の門」新刊『雲竜編』のあとがきに、宮沢賢治「告別」が引用されていた。
偶然にも、僕はこの詩をほぼ暗唱出来るのだ。ブルーハーブのライブ・ビデオの中で、ボスが引用していたからだ。僕は「特攻の拓」を読んで宮沢賢治の詩集を買い、ブルーハーブを聴いてまた読み返した。 宮沢賢治という作家やその小説等にさほど興味がある訳じゃないが(「銀河鉄道の夜」だって読んだ事は無い)、彼の詩が多くの作家に引用されるのも頷ける、とは思う。 アニメ映画「銀河鉄道の夜」のエンディングの朗読は頂けない。あんな勿体つけた誦み方があるか。彼の詩は全て、ボスのM.C.の様に、「拓」の天羽時貞の喧嘩のシーンの様に、血を吐く様な吟じ方をされるべきだ。 ヤングジャンプ増刊『漫太郎』が発売される前に、流川楓の何がスバラシイか語ってみよう。
流川楓は唯一無二のキャラクターだ。コイツ程“ただそれだけ”のキャラは他に居ない。 全く、多くのスポーツ漫画が、“ただそれだけ”を謳いながら、その実、あのウザイ、青春モノ特有のあれやこれやを纏わりつかせ肥大させている事か。 流川にあるのは、バスケット・ボールをプレイして、勝つ事、のみで、そこに馳せられる余計な想いは無い。かと言って、彼は冷血漢ではない。寧ろ、とても熱い。暑苦しい位に。バスケット・ボールをプレイして勝つ事、強烈にそれしか無いのだ。 そこに馳せられる際限無く肥大した自意識は無い。そう、僕が流川に憧れる理由は、僕が「餓狼伝」を「エアマスター」を「ヘルシング」を「シャドウ・スキル」を熱烈に推す論拠と全く逆行する。 言うなれば、センチメンタリズムのカケラも無いのだ、コイツは。“欠けている、という完全性”とでも呼ぶべき彼の人格は、あらゆるロマンチシズムを退けるが故にとても力強い。流川楓というキャラと比すれば、全ての感動作はクソの様である。 流川は、その意味で、どんなヒーローよりも力強い。「蟲師」の様な作品に心打たれがちな僕にとって、流川の様なキャラの存在は大変小気味好い。 「ヤングジャンプ」今号(vol.18)で、井上先生が言っていた、今まで描いてきた内で唯一人居る、思い入れられないキャラクターというのが、果たして流川の事であるのか否か、『漫太郎』で確認しよう(←集英社の回し者みたいになっちゃった)。 |
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