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「NANA」の原作も映画も全く観ていず、外観についてだけで語るんだが、原作漫画と違和感の無い実写化って最近多くて、ヨイね(「ホーリーランド」とかね)。
やっぱり矢口はカワイイな
…文句あるか!!! やっぱりさぁ、クイズ番組で「正解は、」ってトコでC.M.入るのは、効果ってより不快感の方が大きいからやめた方がいいよ。
咲香里先生も今や『週刊少年マガジン』で描かれてますよ。
何が嬉しいって、「Sweet Pain Little Lovers」の頃と作風が変わってない事。…という事は、当時はこの雰囲気を持った上、更にエロかった、と。 お、おお(笑)! 某編集プロダクションの誰が、氏を見い出したんだろうね(K社ではやっぱしアッパーズだった訳でしょ。ほら、やっぱしアッパーズはすげぇんだよ! 何休刊にしてんだよ、K社!)。 余談だが、某C.T.誌'96年7月号で、咲先生が、東京No.1ソウルセットの2ndアルバム(「Jr.」の事だ)の発売が楽しみだってコメントしてるのを、今回バック・ナンバー確認してて気付いたんだが…あの作風の氏に薦められて聴いたらあんな珍妙な曲で、“騙された!”って思った読者も当時多かったかもね(笑)。 柴田ヨクサル先生は本当に恐ろしい。
渺茫に、最強クラスの奴等より明らかにランクの落ちるファイターである深道が勝つという事。 “究極”の存在に、作品中で勝利してしまうという事。 この2つを説得力を以って描写するという事が、何故出来たんだろう? フツー、無理だぞ? 今まで、丹念に丹念に積み上げてきた結果だ。 渺茫に迫った最強キャラは4人。佐伯四郎、ジョンス・リー、北枝金次郎、そしてエアマスターこと相川摩季ちゃんだ。 総合格闘家・佐伯四郎は、見事な片足タックルからマウントを取る所まで成功する。 八極拳士ジョンス・リーは、“体当たり合戦”を制する。八極拳士としては渺茫に勝利したという事であり、その時渺茫は「全渺茫の力でおまえを打ち伏せる」と言ってるから、つまりジョンス・リーは「十五漢渺茫」に負けたんであって、渺茫単体には事実上勝ったという事か。 そして金次郎。「ケンカは…根性だ」と言ってカワハラを下した彼に、深道は皆口由紀をぶつけ、「世の中には根性だけでは通り抜けられない領域がある」と言い捨てている。 が、中堅クラスのファイターである筈の金次郎は、その「根性」のみを以って最強キャラへと至るのだ(よくある、最強キャラが精神的に突き抜けて究極を超えたレベルにシフトするパターンよりも、中堅のヤツが限界を超えてトップ・クラスと肩を並べるに至る方が説得力があったのだ!)。 この事が、深道が渺茫に匹敵する事に説得力を与える布石となる。まず、金次郎の上述のエピソードに説得力を持たせる事に成功した事。もう読者はマジックにはまっている。 長戸もそうだ。ファイターとしてのランクは落ちるが、あの異常な精神性は、彼が何だかんだトップの奴等と渡り合う事にもはや違和感を抱かせない。 精神が肉体を凌駕するという事を、多くのバトル漫画で簡単に描き過ぎていたとも言える。 そして武月雄。 この作品では、「倒す」といっても“殺す”訳ではない事に意味がある。 ダメージが回復すれば―いや、回復していなくとも勇気と根性があれば―何度でもリターン・マッチが出来るのだ。さあ、これで強い/弱いのハナシは一筋縄ではいかなくなってくる。 何度でもリターン・マッチが可能であるという事は、勝つまで続ける奴が最後には勝つ、なんてダメなギャンブラーの論理が罷り通る事になるのだ。 しかし、生身を傷付けられているのだ、彼等は。肉体がまだ闘える状態なら闘える、訳じゃ本来ないのだ。 なら、月雄が凄い理由、下位ランカーの彼に深道が一目置く理由も解るだろう? ここまで描いていく内に、本来最強レベルに及ばない者が究極の存在と渡り合い、あまつさえ勝利する、という事に説得力を持たせるに至る。 そして…。 結局届かなかった、で終わる作品は多い。究極を超えた地平なんて、誰も想像出来ないからだ。 しかし、この作品では、上述の深道が渺茫と張るに足るポテンシャルを持つ事に説得力を与えていく過程で、いつの間にか究極を超えた地平すら読者のイメージの中に構築してきていたのだ! こんなやり方があったとは。 …他の人に使えないものを「やり方(方法論)」と呼んでいいのかは分からないが(笑)。 さあ、ファイター渺茫は敗北した。しかし“強さ”の亡霊共は暴れ出す。そういえば摩季ちゃんは、その精神性が格闘家とはちょっと違う、と指摘されていたが、その精神性こそが彼女の中に巣食う化け物「エアマスター」の事であるならば? 柴田先生の仕事はまだ終わっていない。 東京No.1ソウルセットのベスト・アルバム「Dusk&Dawn」が今年の3月に出てた事を知らなかった。
僕の友達がソウルセットを初めて聴いた時に言ったのが、 「もっと推敲しろ」 僕も同感だった(笑)。奇妙な音楽だった。 今―クラブ・ミュージックがポップス化し、ミクスチャー系バンド全盛の今、彼等を聴いてもやはり同じ様に奇妙だ。 今も昔も、彼等がヒップホップ・シーンから爪弾きに遭うなら、ヒップホップとは何と堅苦しい音楽なのだろう。 彼等が音楽シーンから爪弾きに遭うなら、音楽とは何とつまらないものなのだろう。 彼等は、ラジ・カセのボタンをガチャがチャ押して作る音楽のなれの果てであり、Aメロ・Bメロ・サビというお馴染みの構成の楽曲に陳腐な歌詞の乗ったポップスへのカウンターであり、「ミュージックステーション」で鳴らされる事の無い音楽の代表だ。 そして、彼等は、D.J.クラッシュや電気グルーヴの様な世界の大御所になる事は決して無いだろう。 「出来上がった街に花を添えるくらいなら その場で急に倒れてみせる」 とは、彼等の知人を歌った詞らしいが、彼等のやっている事そのものだ。 |
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