某団体競技の選手だった同僚が、K-1選手のインタビューを観て、「何で格闘技の選手はこういう負け惜しみみたいな事しか言わないんだ」と言って笑った事がある。
全くだ。何故なんだ? それは、そのアイデンティティこそが彼等の全てだからだ。そのアイデンティティの為にそもそも彼等は闘っているのだ。 倉田英之・okama「クロスロオド」(「CLOTH ROAD」)の世界観は手厳しい。神様なんて居ない世界では、貧民層の居住区はどこもスラムの様で、支配層は残酷だ。それは悪い事でも酷い事でもない。それが世の理だ。僕等の知る世界を“肯定”の色眼鏡を外して見た世界観だ。 そこで行われる競技「WAR-KING」は地下プロレスの様にキナ臭く残酷だ。注目すべきは、出場者達―モデルとデザイナー(闘うのはモデルだが、デザイナーはいわゆるセコンド以上の役目を負う)―の自意識だ。 主人公達の対戦相手は、主人公達を確かに気に入っていたのにも拘わらず、主人公達がある程度以上の健闘をすると途端に牙を剥く。例え好きな相手でも、噛み付いてくれば許さないのだ。 これはリアルだ! 考えてみれば、ファッション・モデルにして格闘家なのだ、その自意識の過剰さは想像に全く難くない。 こういう風に描かないのであれば、人と人が闘うハナシは描くな、と思わせる作品の一つに数えられる。 もう一つ。 ファッション・モデルとデザイナーというテーマの作品に、okama氏が起用されたのは正に適材適所。 okama氏の最初の単行本『めぐりくるはる』を、書店だろうと古書店だろうと見付けたなら、購入をオススメする。
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