「オシャレな街でオシャレなバイトをしてオシャレな友だちやオシャレなBFとオシャレな店でオシャレな会話をしながらオシャレに飲む。あたしってばなんてオシャレ!」
根岸崇一か!! オリーブ少女について、それが存在する事を辛うじて知っていたに過ぎないという事に、吉川トリコ『オリーブ』(メディアファクトリー,'10.2.)を読んで気付いた。 フリッパーズ某等の音楽をあるスタイル/ジャンルの必須アイテムとしていた人々の実在を初めて実感した気がした。 僕はと言えば、「オシャレ」なんてのと程遠い所に居るタイプで、例えるなら、Bボーイ的なスタイルに全く興味が無いがヒップホップ音楽が好きな者の様に、ただその音楽が好きで聴いていた。寧ろ、オシャレ・アイテム的な捉え方にこそ異を唱えたかったが、当時既に、フリッパーズ某はパンクだ―現状の音楽シーンにそのスタイル/ミュージシャンシップで存在する事がパンキッシュだ―という論が在って、僕の感覚も市民権を得ている様な気がしていたので、余り気にならなかった( これを観よ! ・ http://www.youtube.com/watch?v=hw6qcTvEOng&NR=1 )。 また、すぐ後に「渋谷系」と呼ばれる様になるそのテの音楽のミュージシャンやリスナーは、中古レコード屋と家の往復が生活の全てである様なオタク、とやはり当時から言われていて、“オタク=オシャレ”みたいな、変な図式になってるぞ、と痛快と迄はいかないがちょっと面白く思ったりはしていた。 が、“彼女達”の実在については本当には知らなかったんだと、この小説を読んで初めて気付いた。 そして、“彼女達”の物語として描かれているのは、実は“普遍性”だ。 主人公として姉妹―かつて少女であった三十路前の女と、現役の中学生女子―を設定したこの作品の視点は、青春の俯瞰だ。 もし、現役中高生が読むならば、そういう風には思えないだろうけど。 オリーブ少女達の為の、そんな“普遍性”を描いた作品は在っていい。いや、“彼女達”は望んで、待っていただろう。 「盗んだバイクで走り出」したり「夜の校舎 窓ガラス壊してまわった」りするロックに共感出来なかった僕等が、「どうせ僕らはいかさまなカードで逃げまわる」と歌うポップスに救われた時の様に。 オマケ↓ ・ http://www.youtube.com/watch?v=RGo833qcyaQ !! ↓ ・ http://www.woopie.jp/video/watch/0f06063bb05fb3be
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