ザ・カスタネッツをどの様にして知ったか覚えていない。
最初期の4枚のシングルC.D.を当時お金の無かった僕は買わず1stアルバムの発売を待った。 その後、音楽番組の主題歌として掛けられた「ハック」を聴いた時の衝撃は忘れない。 牧野元氏は最高に優れた詩人であり、カスタネッツの作品は最高の唱歌だ。 ロックに日本語は載らないなんて尤もらしく語られる事が有る。 カスタネッツの歌の存在はそれを否定する。 リズムに言葉を載せるのはラップで、メロディに対して載せるのはカスタネッツだ、と迄思う。 10/7(金)、十数年振りの下北沢クラブ・キュー。 実は初めて観るザ・カスタネッツのライブ。 活動し続けていてくれた事に本当に感謝する。 何故初めてか。何故今迄観に来なかったのか。 僕がライブを観に行くのはジャンルとしてエキセントリックなものばかりだった。 ガレージ・パンク、オルタナティブなんて括られる様な類のもの、そしてヒップホップ…。 ザ・カスタネッツは大好きなバンドだが、そのライブには食指が動かなかったのだ。 いや、彼等のライブはきっと素晴らしいのではないか、ふとそう思ったのは割と最近。 彼等なら、普通のものをハイ・スペックでしっかりと演ってみせてくれるに違いない。 そう思う様になった。浴びる程彼等の音楽を聴いていた頃に、何故そう思わなかったんだろう。 だから、今回のライブの感動に驚きは無い。思った通り素晴らしかった。 張りの有るボーカル、堅実な演奏、フザケたM.C.…。 彼等は丹念に沁みる良曲を作るが、現場で音を鳴らすのにも長けていた。 そして。 極めて個人的なハナシだが、今の僕にはこの様に、彼等の曲は“現場(ライブ)”で鳴らされてるのを聴くのが丁度イイ。 実は、もう何年もの間僕は彼等の曲を聴いていなかった。 ヒップホップばかり聴いていたのは、メロディを持たずパーカッションとして機能するラップというボーカル表現が、どんなテーマを歌っても―エモーショナルな詞でもセンチメンタルな詞でも―一定の冷静さを保ち続ける(ある意味ドライだとも言える。藤子不二雄の漫画の様に)故にだ。 今、カスタネッツの情感に浸るのは正直しんどい。 「人生に必要なのは何か? 生きる糧となるものは? 酒か? 恋愛か? 金か? それらは強すぎる 私は一杯のコーヒーだと思う」(豊田徹也「珈琲時間」) そう、言うなれば強過ぎるのだ。 あんなに素朴な歌なのにも拘らず。
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