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僕が2,3ヶ月神奈川離れてる間に、「快速急行」なんて走ってますが小田急線。
何にせよ、上りの急行、相模大野止まりにすんのは、本当にやめてくれ!! 何故鉄道はどんどん不便になってゆくのか…。 あと、極めて個人的に。 下り、「伊勢原行き」な、あとひと駅行ってくれ(鶴巻温泉在住(笑))。 『アフタヌーン』で、ふくしま政美氏の新連載開始って、そんな冒険(失礼?)が出来るんなら、『アッパーズ』休刊させる事も無かったんじゃないの?
『「おたく」の精神史』19章の、「『ぴあ』の敗北」の項を読んで、かねてより抱いていた木尾士目「げんしけん」的オタクへの違和感の正体が解った気がした。
あらゆる情報を網羅し、読者に取捨選択させる事を前提とした『ぴあ』が、あらかじめ価値判断された情報を提供する『東京ウォーカー』に敗北した事は、実は「おたく」の終焉を意味していたと、この項は述べる。この頃から、おたくも、あらかじめ選択された情報を消費する「大衆」となったからだと言うのだ。 そのジャンルがゲームやアニメであろうとも、もう「おたく」ではなく「大衆」なのだ、と。 以前、キックミットやヘッドギア等の防具の購入を検討している時に、僕の先輩がたまたま目に入った『横浜ウォーカー』の、何だかお洒落なスポーツ用品店の広告を指して言った言葉、 「スポーツ用品は何でもあるって書いてあるからさぁ、「16オンスのグローブが欲しいんですけど」って言ってこいよ!」 が、前述の僕の抱く違和感をよく表していたと、今にして思う(もし、この店に格闘技用品が置いてあったら、この例は忘れて欲しい(苦笑))。 とらのあなで散財なんてネタの直後にナンだが。
僕は、酒も煙草もギャンブルもやらず、そしてオタクなのにパソコンもゲーム機もD.V.D.プレイヤーも持っていない。 '80年代、消費によって―購入する対象の選択によって差異化を図り―アイデンティティを構築する「新人類」や「おたく」が登場した、という論があるが(大塚英志『「おたく」の精神史』)、すると、僕は、オタク文化に貢献していない事になるのか。 しかし、四方俊男氏は、僕のアパートの部屋についてこう言った。僕の部屋は明らかにゴミゴミとしていたにも係わらず…。 「必要なものしか無いという点に、ポリシーが感じられて好感が持てる」 この感想は、確か、彼の、買い物依存症の人の、消費する事そのものがアイデンティティを保つ手段となっている事を示す、統一性の無い品物群によるゴミの山の様な部屋を見て、気分が悪くなった、という経験からきたものだった筈だ(違ってたらゴメン)。 ならば、本当に「要る」と思ったものしか買わない僕の消費の仕方は、やはり、拘りに則った実にオタク的なものだと言えないだろうか。 実際に購入するソフトの数量が少ないという点では、確かに市場に貢献してはいないのだろうが…。 今日、故・『キャンディータイム』誌の投稿者のボス(?)那賀氏達と会って、来月に予定されている集会に向けてのミーティングの様なものをしてきましたよ。
その帰りに、那賀さんに連れられ、例のとらのあなに行っちゃった訳よ。 即ち、散財しちまったと、そういう話(苦笑)。 プリキュアのエロパロとか買ったさ! それと、台湾の、アニメイト風の店で購入した海賊版のエロパロ本のオリジナル同人誌があったので(!)、語学の勉強の為(台湾海賊版のいわば日本語訳な訳で・・・って本当に本末転倒だ)に買ってきましたよ。 滝沢麻耶『リンガフランカ』(講談社)を読むように。
理屈と感動は相反するものなんかじゃない。それは、柳沢教授や「エアマスター」の深道に限った事じゃない。 「スラムダンク」や「はじめの一歩」で気付かなかった人も、この作品で分かるだろう。 |
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