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8月から始まり8月で終わる物語、ひな。『3丁目の回覧板』(蒼竜社,'00)をふと読み返す。改めて、よく出来ていると思う。
少年少女の恋物語のオムニバスだが、独立している筈の各話は世界観を共有し、エピソードも関係を持つ。 各々が一つの読み切り作品として完全に成り立っている上で、関連する互いが互いのサイド・ストーリーの役割を果たす(基本的にはあるエピソードが次回のエピソードへの布石となる。故に「回覧板」なのだ)。 可愛らしい絵柄から少年少女しか描けないかと思われ様が、そんな事は無い。お姉さんも出てくるし、おじさんの物語もある。リアルな中高生の青春だけじゃなく、ロボットやゲーム・キャラの恋まで。これはS.F.ってんじゃない。世にも奇妙な何とかとか、そういうちょっとシュールな日常?描写と言えばいいか。 そんな様々な要素を内包した短編集が全体で一つの長編として仕上がっている。丹念に、大切に描き上げられたこれは、ギミックにだけこだわった類似品の小賢しさを一切感じさせる事は無い。 『キャンディータイム』(富士美出版)という何年か前に休刊になった雑誌があって、やはり休刊しているその姉妹誌『ナチュラル・ハイ』に、この漫画は連載されていた。マイナー誌の、更に別冊。いい作品ってのはどこで出会えるか本当に分からない。 本当はこの世界に、僕達の人生に、ポジティブになれる根拠なんて何も無いから、多くの物語作品は嘘だって事になる。勿論、センチメンタリズムに塗れた作品も嘘。性急で浅薄な嘘。
全く以って信用出来るのはあらゐよしひこ作品だけだ。斜に構えているのではない、ただ冷めた表現を、その視点を、誰も否定出来はしまい。 「Dr.パッチワーク」シリーズは天才外科医のミステリー、「使い魔エンブリヨ」は、いじめられっ子が魔法で報復する話。オーソドックスなエンターテインメント作品の体裁だが、そこに嘘は描かれていない。世の中こんなもんだ。 今夏コミックマーケットでサークル東山神兵から『Dr.パッチワーク 夢鏡の女。』『使い魔エンブリヨ』第3巻を買った。 「パッチワーク」は猟奇の世界だが、今回は何と恋の話。いつもと違って、そこに明確な不幸が無い、様な? ネタバレを恐れて上手く語れないが、今作のギミックは脳の働きが電気信号なら、混線したら? というもの。倫理的には当然間違ってるハナシがいつもの様に語られる。 「エンブリヨ」は新展開。主人公と同格?のライバル・キャラ登場。作者曰く、このキャラと主人公で競り合った後巨大な敵に対し共闘、というのも考えたが、結局このキャラをラス・ボスに据える、と。実際、この悪役との決戦へ向かう流れで今巻は終了している。 これは一つの典型的なパターンであるが、主人公は小悪党で、敵役がその小悪党の目にも余る極悪人だったってだけで、つまり正義の味方はそこには居ない。正義による解決は無い。作者も後味の悪い結末を用意していた風にコメントしている。が、考え直しているそうだ。いずれにせよ、あらゐ氏ならあらゐ氏流に料理するだろう。斜に構えるのではなく、エンターテインメントすら冷めた目で眺める作家流に。願わくば、そのスタンスを違えぬ事を。 というのは、後書きのいじめ問題(正確には“いじめ問題”問題)についての語り口が興奮気味だったものだから…。 本が出来たので告知します。
コミティア81出ますよ。 け01b「時計屋」です。 子供の頃、サッカーをする時、皆Tシャツの袖を肩まで捲り上げていた。日向小次郎の真似だった。
現在そのホビー/カルチャーは現在のスタイルで既に定着し楽しまれているので、これからする話は一つの見解に過ぎない。 「レイアース」の3人娘の格好は、臙脂色か小豆色のセーラー服、紺色のブレザー、緑色のブレザー…即ち典型的な女子中学生の制服であって、それをあの絵柄でディフォルメすると、ああなる、という訳だ。 「シティーハンター」冴羽獠のアニメ版のコスチュームは、Tシャツの上に直接ジャケットを羽織る様なラフな格好のイメージ化であって、だから彼の格好を真似るというのは、アニメの設定通りにあのジャケットを作り起こす事ではないのではないか。彼の相棒槇村さんは、トレンチコートで猫背の冴えない男のイメージ化だから、槇村さんに扮するというのは何となく冴えない刑事みたいな格好をする事であって、コートや眼鏡のデザインをアニメの設定通りに再現する事ではない、と僕は考える訳だ。 S.F.やファンタジーのコスチュームだって、現実にはあんな感じの服をこの絵柄にディフォルメするとこうなるのではないかと逆算して、作り起こすべきなんじゃないか。そもそも着ているのがリアル人間なのに、服だけアニメの絵柄ってのもチグハグだ。 現在、キャラの格好をする事―コスチューム・プレイとは、特殊な場所(イベント会場)にてポーズをとって撮影されるという遊びになった。それはそれで、大変楽しまれているので、ならばそれで全然構わない。 ただ、それが“キャラの格好をする”事だとは僕には思えないんだよなぁ…。 中高生の頃、僕はよく白いブルゾンを羽織ってて、ある時、後輩の小中学生が僕を見て「光太郎だ!」って言ったんだよ。彼等には僕の格好が当時T.V.放映されていた「仮面ライダーBLACK」の主人公、南光太郎のそれに見えたって訳だ。(僕は意識していた訳ではないが)キャラの格好をするってのは、そういう事なんじゃないかと、僕は思う訳だ。 イースタンユースのアルバム「雲射抜ケ声」を、僕は何で売ってしまったんだろう。
これに収録されている「雨曝しなら濡れるがいいさ」を、最近無性に聴きたくなっていたんだが、YouTubeでそのライブの映像を観る事が出来た。 自分の歌っている時の顔はヒドイ、とかつて吉野氏は言っていたが、これはヒドイんじゃない、スゴイって言うんだ。ロックには様々なスタイルがあり、ビジュアル・イメージも然りだが、このライブの映像には、これこそがロックだと断言せしめる力がある。 ハード・コアと言うにはメロディアスで軽快な曲調やただ実直な歌詞に、真面目なだけで物足りないなどと感じていたのが嘘の様に、この歌が僕の中に染み入ってきた。衒いやポーズの無い表現というのは確かにあって、確かに、それはそれだけで(それだけ故に)力を持ってる。 ショウビズとは根本的にカテゴリーを異にするパフォーマンスが確かに存在する事を実感出来る。 それは、確かに在る。 チェーンのファーストフード店でも、同じ店舗にいつも行ってると、「(注文する前に)ブレンドで宜しいですか」とか「いつも有難うございます」とか言われる様になってしまうが、馬渕哲・南条恵『マンガでわかる良い店悪い店の法則』 (日経)にもある様に、客はあまり店員に自分の事を覚えられたくないものなんだがね。
その辺、マニュアルはどうなってるんだろう? リサーチ不足か? |
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