|
「町は一回しゃがむと全く違った景色並ぶの 末端担った時のアナウンサー ほのぼの顔で楽しそう」
僕も地面に座り込んでいる若者など見ると眉をひそめるクチだが、そんな若者からのアンサー・ソングというのも存在する。 「町は一回しゃがむと全く違った景色並ぶの 発達しちゃったアジア ならず者のボロボロ長ズボンの裾 恥じらいも無く学ぶと やっぱ筋が合った友と鼻歌 末端担った時のアナウンサー ほのぼの顔で楽しそう」 (降神「ジベタリアン」) 僕も昨今の若者のある種の行為とか流行りとかを訝るクチだが、しかし、上掲の最後のラインなどにはニヤリとさせられる。大変小気味好い。 降神の志人をフィーチャーしたスイカによる別バージョンも聴いてみて欲しい(「コインサイド」収録)。このどこか物悲しい辻語りが都市の地べたの真実なら、ニュース番組のレポーターは何も伝えてはいない。 メイン・キャラ2人を“この2人ともが主人公”という体裁でやってる作品の多くで、結局片方は事実上準主役になってたりするが、道明「せごどん」は、丁度反対にタイトルは西郷どんで内容も勿論西郷隆盛の英雄譚である!と謡いながら、その実西郷と大久保の話となっているのが面白い。
幕末の偉人伝に於いて、「西郷隆盛」といえば西郷と大久保の物語である、といった風だ。掲載誌『イブニング』の'06.No.24の扉では「薩摩史上 日本史上 世界史上 最高のツートップ!!」なんてアオリを打たれていた。 その上で、少年期の大久保…大久保正助どんは計算高く小賢しい面が強調されて描かれるが、西郷と双璧を成すもう一人の主人公としたからこそのその描写だ。 器量の狭い面を強調したからといって彼を小人と解釈する気は毛頭無いし、また太っとか、男らしか(笑)気性の西郷どんをただ讃えようという訳でもないという作者の意図も見て取れる。 好対照の2人がコンビで、歴史上等しく偉人で…という稀有な事例が、手放しである一人を賞賛する他の偉人伝と違った客観を可能にしている。 勿論作者がそれに気付いたからこそ。 歴史上の英雄が大好きな作家先生は多いが、道明氏は信用出来そうだ。 『ドルフィン』(司書房)が、先月号を以って告知もなく突如休刊するという噂は本当だった様だ。
『ペンギンクラブ』が美少女誌に於ける少年ジャンプなら、チャンピオンといった風情の老舗雑誌だったが、脱落か。 美少女エロ漫画誌には幾つかの要素があるが、美少女漫画誌としてもエロ本としても、オタク系マイナー・サブカルチャー誌としても、他誌と比べ振るわなかった、のかどうかは分からない。社内でその売り上げを重要と見るかどうかってのもキーらしいし。 ともかく。 僕等みたいな連中には、これで20世紀の残滓がまた一つ消えたなどとも思えるが、このテのハナシは多すぎて、今更何の感慨も無い。 こやま基夫氏の新作「なおざりダンジョン」は、「おざなりダンジョン」の第1話よりも前、主役のあの3人組 が初めて会った頃の物語だ。
彼等の魅力は何といっても風来坊気質な所だ。それぞれ戦士/盗賊/魔法使いとして達人級の実力を持ちながら、その事実はあくまでも知る人ぞ知る、見るべき者が見れば解るといったものであり、誰に認められようと、何を成し遂げようと、彼等は一介の最下層の冒険者のままだ。 「おざなり~」に於いても、続編「なりゆき~」に於いてもそうだったのだから、それ以前の本っ当ぉに名も無き頃のエピソードならその傾向はより顕著だ。世知辛く過酷な冒険をゆく者が故の、ドライさと情熱の見え隠れっぷりもまた然り。 このシリーズでも、いずれ彼等は英雄視されて然るべき活躍をするのだろう。でも(「おざなり~」の冒頭でただの名も無きゴロツキだったのだから)確実に、そんなくだらないものにはならない。 反権威主義の為の反権威主義など意味は無い。本物は初めからそんなものにはかかずらわない。 おがきちか『エビアンワンダーREACT』最終第2巻の発売が昨年末25日だったのは出来過ぎだ。
掲載誌休刊によって中断したが、他社誌で続けられ無事完結して本当に良かった。 悪魔と契約し、地獄のエネルギーとする為悪人を狩る主人公は、時に感謝されるが、悪魔の遣いである彼女はあくまで忌むべき存在だ。 この設定が、善悪正邪の明確な区別など不可能だという事実を明示するが、主人公は罪を悪を判断し決定して狩らねばならないし、彼女自身、生きる為に己を捨てた両親を許さず憎み続ける為に、罪/悪を許そうとしない。しかし、作中で、「憎しみをいつまでも心に留めておくことはできない」と語られているように、それもまた矛盾を孕む。 重いテーマだが、主人公達の(それは恐らくは作者自身の)クールネスは、物語を軽やかに進めてゆく。その至る先は肯定かはたまた否か。『エビアンワンダー』1,2巻(少年画報社)、『~REACT』1,2巻(一賽社)。 最後まで見届けられて本当に良かった。 昨今のT.V.アニメの放映本数からして、本放送当時熱心に観ていた作品も、幾らD.V.D.化などされようと、さっさと過去の名も無き作品になっていってはいないだろうか。
「ウィッチブレイド」は、当初からの大方の予想通り、なんだかなーなまんま最終回を迎えたが、確実にある一つのテーマだけは描く事に成功していたと、「Spring Summer,Fall」(ネット・ラジオ「ウィッチブレイディオ」主題歌)をまた聴き返して思った。 母親とか親子とか、お為ごかしじゃなく、ナマだった。 やっぱり「感動作」なんてジャンルは存在しない。そんなコピーを打たれた作品こそインチキなんだ。 |
CATEGORY
≫ 私的 (30)
≫ 日記 (75)
NEW
COMMENT
TRACKBACK
LOG
PROFILE
LINK
TOOL
PRODUCE
BANNER
|
||